不働日記

書いて頭を整理する習慣をつけたい

戦争教育、教育、教育

昨日、ドイツの戦争教育は14歳から、やみくもに早くから始めず、考える力がつくまで待って行うのだという話を聞いた。その時、小学校一年生の時から毎年夏になるとビデオ教材を使った戦争の授業があったことを思い出した。太平洋戦争末期、本土空襲で多くの人が亡くなった話や原爆のこと。爆撃の衝撃で人間の皮がはじけて目玉が飛び出す様子をアニメーションで見た。戦争は最悪、繰り返してはならない、そりゃそうだ。でも満足な説明もなくいきなりショッキングな様子を見せるのって良くないのでは?

数年前にたぶんTwitterで「戦争の悲惨さを見せるだけでは不足。戦争を防ぐために何ができるか考える、自分たちの行動次第で回避可能である、と今後の希望まで示さなければいたずらに恐怖をあおるだけになってしまう。無力感だけ与えて終わらせてはいけない」といった話を見たことがある。その時も自分が受けた戦争教育を思い出して確かにそうだなと思った。

年齢一桁の頃は寝る前や手持ち無沙汰なタイミングで「戦争になったら嫌だなあ」と恐ろしくてたまらない気持ちになることがしばしばあった。実家は少々アレだったので漠然とした不安や恐怖について話すという発想はなく、ただただ怖さのピークが過ぎ去るのを待っていた。

 

物心ついたころから人の世が漠然と怖かった。今もそうだが経験も選択肢も少ない子供の頃はもっと怖かった。幼児期は出先で親とはぐれたら餓死するか殺されるかすると思っていた。運動会の行進なんかの団体行動は意味が分からない、どう振る舞えば良いのか分からない。誰も教えてくれないし助けてくれない、どうにか適応しているふりをして泳ぎ続けなければ終わりだという感覚がずっとあった。

で、戦争教育。私が人の社会を信じられない、ピンと来ないまま怖いなあと思って生きてきたのは、個人の性質だけじゃなくてこれもけっこう社会が原因なところがあるのでは?十分に情報を与えないとか時期を待たないとか、教育が不十分なのも原因では?

人間は未熟な状態で生まれるので勝手にいい感じに育つようにはできていない。いろいろな人と関わったり学ぶ必要がある。教育大事。

私は未だに人の世が怖いしピンと来ない部分も多いが、動物オタクなので色々な動物の情報を漁る中で「人間は社会性動物、社会性動物の生存戦略は群れを作ること」と認識したため、社会が良くなってほしいと考えるようになった。

でも私は割と特権を持っていて現時点ではクリティカルに困る場面が少ないし、モチベーションが「社会性動物だから群れで協力するのがお得だよね」という理屈とわずかな当事者性(この体で生活する中で感じる諸々の不具合。私は逃げ足だけは速いので食らっていない方だと思う)だし、ネオリベ的価値観も吸い込んでしまっている。まだまだ無知でヤバくて危うい部分が多い。地道に学ぶこと、ネオリベ価値観を引き剝がすことも当面の課題である。ネオリベ最悪話も言いたいことが山ほどあるので別途吐き出していきたい。

 

ちなみにドイツは国が教育に力を入れているから大学の学費が非常に安くて、仕事の合間に来る人、小さい子供を連れた人、高齢の人も普通にいて、老若男女に開かれているとのこと。高校の授業のほとんどにディベートが取り入れられていて議論の仕方(”論破”ではなく議論!!!)をみっちり学べるとのこと。いいなあ。日本は防衛費なんか増やしている場合ではない。教育に投資しろ。税負担を減らしてセーフティネットを拡充しろ。あらゆる差別をやめろ。外国の脅威を気にするより内部から立て直さないと!

 

以下の画像は東京駅のKITTEにあるインターメディアテクにあるクジラの標本。こんなすごいものを無料で見せてもらえるのはありがたいし希望がある。f:id:sheeprrr:20230709020645j:image