不働日記

書いて頭を整理する習慣をつけたい

受動的だと不安になる

子供の頃からアニメやゲーム、バラエティ等の「お勉強っぽくない」ものに興味を示すと「そんなくだらないもの」と貶されてきたので、私が興味を持つと対象に迷惑がかかる的な気持ちがあったり、的外れな感想を言ったり、十分に消化できていないことがバレたら「こんなバカを野放しにできない」と今以上に狭いゲージの中で短い紐で繋がれる生活(比喩)になるかもしれない、という漠然とした恐れがあった。8歳か9歳の頃、友達が「本を紹介するためのテンプレート葉書」を使って『赤毛のアン』をおすすめしてくれて嬉しかった(シリーズが多すぎて気後れしたまま未だ読めていない。ごめん。「いつか読もう」リストにはずっとある。今年こそ……)。自分も何かおすすめを返したかったが、好きなものを率直に表す訓練不足が祟って考えすぎたまま時間が過ぎて書けなかった。未だに好きなものを好きと表明すること、じっくり味わうことが満足にできない。というか自分がどうなったら嬉しいのかがわからない。狭いゲージにいたときは一挙手一投足を監視されて隙あらば減点されていたので「なるべく動かない、感じない」ようになった。当時家にいる間何してたかな…と思い返してみると、寝てるかソリティアしてるかだった。活字は好きだが現実逃避のために情報を流し込んでいたところがあり、ちゃんと消化できていない気がする。今もその癖が抜けない。過食はおいしいから食べるのではなく、食べている間は嫌なことを忘れられるから作業的に胃袋に食べ物を詰め込んでいる状態と聞くが、それに近いと思う。

 

間違っちゃいけない、一瞬で正解を出さなきゃいけない、という気持ちでずっと焦っていて、最初は「働いて稼いで自由に暮らす」以外はほぼ何も考えず走ってきたが、ふと落ち着いてみると虚しい。ずっと私はこのままか?と思うと怖い。何かを愛すること、簡単に解決しない問題に腰を据えて取り組む胆力、コスパだの考えず手間をかける豊かさ等が欠けているせいだと思う。働き始めた頃は貯金が少ない→何かあったら実家に強制送還されてしまうことを恐れていた。常に不安なのは金銭面が理由だと思っていたが、日々切り詰めて明日クビになってもしばらくは食いつなげるでしょう、という状態になっても全く安心はできなかった。仮に宝くじが当たろうが行きずりの富豪が家を買ってくれようが変わらないのだろう。結局全てにおいて「失敗したくない」「損したくない」と保身ばかりの不完全燃焼で生きているから虚しいのだ。何かいいことないかなーと口を開けて待ってるだけで充実した人生になると思うなよ!中には巻き込まれ体質で黙っていても退屈する暇がないって人もいるだろうが私はそうじゃない!不安な時は「評価されたい」「嫌われたくない」「連れ戻されたくない」とか受動態になっている。

昔は確かに残機がなかった。勝たなければさんざん追い打ちが来た。でも今は違う。何かをやってみて上手く行かなかろうが「ああ、残念だったね」で終わり。それ以上のマイナスは発生しない。体を壊したり無闇に借金したりといった無理のない範囲で色々やったらいい。飼い殺し生活の記憶を消すのは難しいので、新しい情報を大量に流し込んで薄めていくのが良さそう。

 

ということで直近のやりたいことリスト!

  • 旅行(国内、気になる場所にホイホイ行く)
  • 旅行(海外、まずはパスポートを取る)
  • 創作物をイベントに出す
  • レシピ通りに料理を作る(先日まともに作ってみたら普段の謎料理よりも満足度が高かった)
  • ガーデニングを本気でやる
  • 磯で生き物を観察する
  • イベントを企画する

 

コロナ前はしばしば突発的に一人で日帰り登山をしていた。「あらかじめ予定を決める」「人を誘ってスケジュールを調整する」「山小屋を予約する」が面倒で、前日に思い立ってザっとルートを調べて急に出かけていた。目的を決めて、そこに向けて調べたり準備したりする必要のある、ちょっと手間がかかることを面倒がらずにできるようになりたい。筋トレあるのみ!

 

本当は『人間をお休みしてヤギになってみた結果』の読書感想文を書く予定だったけれども、前置きが脱線して長くなりすぎたのでまた次回。写真はレシピ通りかつ賞味期限切れてない材料で作ったケーキ。

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