不働日記

書いて頭を整理する習慣をつけたい

2024年の目標30個!

今年やりたいことを(書ける範囲で)30個書く、友達がやっていたのを見ていいなあと思ったので真似する。こういうことは三が日とか松の内にやるものかもしれないがまだ1月なのでセーフとする。翌年振り返るのも楽しそう。

  1. 趣味で作っているステッカーの種類を増やす
    今あるバラ売りのステッカーは2種類。あと3種類くらい欲しい。

  2. ZINEを作る
    白黒コピー本から、もう一歩本格的なものを作る。カラー。背表紙。

  3. 絵をたくさん描く
    動物園に通い詰める。

  4. 台湾に行く
    次はガイドブックに載ってる簡単な挨拶だけでも覚えていきたい。

  5. 腹筋を割る
    シックスパックまで行かずとも、縦筋がくっきり出たらよしとする。

  6. 転職
    持続可能な働き方を考える。やりがいや現場の人の良さだけでは限界がある。

  7. 脱・完璧主義
    全てにおいてこれ。100%準備ができてから出そうとか考えてると一生できないからまずやってみる。先日突貫工事で作ったコピー本も案外売れたし、動きながら考えるのがいい。

  8. 四半期に一度は山に行く
    去年は恒例行事を含めて2回。もうちょっと登りたいところ。

  9. 月2回以上湯船に浸かる
    血行を良くして肩こり改善!筋トレもしつつ。

  10. 電子工作をやってみる
    昨年『雑に作る』という本を買って積んでいる。しょぼくてもいいから光るものを完成させる。

  11. 良いパン屋を見つける
    さっそく本日1件教えてもらった。家から近くはないが長めの散歩には良い距離なのでまた行きたい。

  12. 頭皮の荒れを治す
    最近乾燥や転職を考えるストレスで搔きむしってしまいよろしくない。

  13. 口内環境の整備
    歯列矯正を終えたら細かい虫歯を治す。矯正が終わるまで虫歯を悪化させず現状維持できるか。ファイッ!!

  14. 人を誘うの上手くなる
    楽しい企画を考えるとか断りやすさとか

  15. 蛇を捕まえる
    アオダイショウを想定。まずは網や棒を使うが、素手で取れるようになればベスト。

  16. ストレッチの習慣をつける
    柔軟性はあればあるほど良い。風呂あがりにやる癖をつけたい。

  17. ピアノを弾けるようになる
    未だに楽譜が読めないが、きらきら星でもなんでもいい、左右の手が別の動きをするやつをやりたい。

  18. 青春18きっぷで無計画旅行
    飽きるまで電車で移動して宿も当日決める。

  19. アウトドア飯のレパートリーを増やす
    燻製、パエリアなど手軽なものから試す。

  20. 食える野草を探す
    野草食は昨年チャレンジしたかったが、歯列矯正を始めてしまい繊維質のものを食べるのがしんどかったので延期していた。矯正終了が終わったら野草を食べる。あと餅!

  21. 本や映画の感想をすぐ書く
    脱完璧主義に近い。立派なことを書かなくていい。浅くてもいい。後から思い出したら追記すればいい。不安ならクローズドにやれば良い。一回出さないと忘れてしまうからまず書いてみる。言語化の練習。

  22. 花のある生活
    たまに花屋に寄ったりしたい。花瓶を持っていないので気に入るものを探している。

  23. 姿勢を良くする
    脱猫背は永遠のテーマ。腹筋に力を入れる。

  24. だし巻き卵を上手く作れるようになる
    自炊を「安く栄養を取る」からもうちょっと良くしたい。白だしを買った。

  25. 収納を最適化する
    特に押入れと調味料。取り出しやすさ、視認性が悪すぎてしまい込んで忘れた結果、油3本醤油が2本。

  26. 野鳥の名前を3つ覚える
    昨年は「ハクセキレイ」を覚えた。しばしば出てこないが「よく駐車場でチョコチョコ歩いてる白黒の鳥」と言えば大抵通じる。今年はムクドリヒヨドリの違いから。

  27. 単価500円以上のグッズを作る
    今売っているものが100円と150円、出店料をギリギリ回収といったところ。楽しいけれど、もう一声!ゆくゆくはピンバッジを作りたい。

  28. 起床後10分以内に縦になる
    布団でスマホいじるの、夜はポケモンスリープのおかげでやめられたが朝はやってしまう。だったらその分寝ればいいのにさ!

  29. 必要な時にNoを言えるようになる
    驚いてフリーズしたり、本当はどこかでわかってるのに「嫌だと思ってはいけない」と塗りつぶしてしまうことがある。練習と誤学習を剥がすことの両方が必要な気がする。うまく言えなくてよい。

  30. 先にデザートを食う
    期限が決まっている仕事などはさておき、個人的な用事については楽しそうなもの、気が向いたものから着手する。今も自己PRを横目にやりたいことリストを書いている。気が重い用事を片付けてから遊ぼう→気が重い用事が終わってないから遊ぶのはお預け…と言いつつTwitterを見たり指毛を抜いたりして時間が溶ける→こんなことなら開き直って遊んでた方がマシでは?というのを何度もやったため。ちなみにこの目標は好きな雑貨屋さんで以前取り扱っていたピンバッジ「先にデザートを食え」から。


書き初めをやろうと筆や半紙を買ってみたものの、書き初めでは字数が限られるので抽象的になるかなと思い、細かいやつはインターネットでやってみる。こんなに真面目?に目標とか考えたの初めてかもしれない。

最後にステッカーの営業!不定期のイベントのほか、マルジナリア書店さんの店頭&オンラインショップから買えるようになりました。選挙に行って家父長制をぶっ壊せ!

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仕事のこと

散歩がてら立ち寄った店で自分が関わっていたジャンルの製品の棚を見た。棚を直視していると心拍数が上がるので、Apple Watchのような計測デバイスを付けていたら面白かろうと思う。手首はすぐに湿疹ができるし指輪は苦手なので、体内に埋め込めるマイクロチップがいい。

実は10日ほど前にも同じように棚を見に行っており、その時はもっと脳がぐちゃぐちゃになった。SNSやブログでは身バレが怖いのでサクラエディタに吐き出した。

仕事のことは、年が明けたらぼちぼち考えようと思っている。上司をはじめ先輩方がすばらしいので職場環境は良い。しかし通勤時間が長い。給料が安い。仕事内容が嫌いなわけではないが、生活における仕事の比重が重すぎた。始業前に30分ほど散歩をしたい。終業後は夕食を作って食べ、リングフィットアドベンチャーをやり、風呂に入り、そのうえで1時間くらいは本を読んだり絵を描いたり、といった少し気力の要る作業をする余力が欲しい。そのうえで6時間以上、日照時間の短い冬場は7、8時間寝たい。贅沢?これが??そんなことだからGDPが下がるし「過労死」がグローバルで通用しちゃうんだよ!失われた30年、政治が、自民党政治が悪い!選挙に行こう。

半年と少しぶらぶら過ごしてみて「止まったらおしまいだ」という焦りが薄くなった。何より、人慣れ訓練が進んだことが大きな収穫だった。仕事に使っていた時間と体力を遊びや勉強会に突っ込み、安全に人と関わる機会が増えて、以前ほど緊張しなくなった。以前よりも「この世界は安全である」と感じられる度合いが高くなった。また、もともと少なかった収入がさらに減ったにもかかわらず、お金を使うことへの恐怖も減った。あくまでも当社比だけれども。

これは趣味で作った「選挙に行こう」ステッカー。年明けにイベントで売るよ!

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性別に付随する文脈に対する違和感のこと

トランスジェンダー入門』を読んで感想を書こうとしたものの、「シスジェンダーでもけっこう違和感あるぞ!」な話を書き殴っていたら長くなってしまった。脱線しすぎたので本の話はまた別途。「素朴な疑問」として人を踏まないように基本的なところだけでも勉強しておきたいので読むぞ!

私自身は今のところシス女性という認識だが、性別について居心地の悪さを感じることはしばしばある。物理的社会的な不便に加えて、日本はまだまだ性別にくっついてくる文脈が多すぎて、かつそれらの文脈が自分にとって親和性がないものが多いからだ。

・繁殖のための器のように扱われること
年齢一桁、第二次性徴の前から「女の子は将来お母さんになるんだから体を冷やさないように」等と、何の疑いもなく善意でくるんで、出産する前提でものを言われることが気持ち悪かった。私はずっと自分のことを動物園で生まれ育った象のように思っている。本来は群れで自然と学ぶことが身についておらず、自分の生んだ赤ん坊を侵入者とみなして追い払う象。動物もストレスがかかると自分の生んだ子供を食っちまうんですって。わかるよ、赤子なんて身近にいなかったもんね、兄弟も親戚もいないし地域社会との交流も乏しい、自分が生きていく方法だってわからないのに体が大きく変わったり、世話をして色々教えないといけない他者が生活にログインしてくるなんて、キャパオーバーになるに決まってるじゃん!無理!

あと、就活時に女子学生向けのセミナーなるものに行ってみたら当然のようにキャリアプランに結婚と出産が組み込まれていて、それを見た瞬間嫌になって「この時間は寝よう」と決めたこともあった(一人だったら即帰るところだけど一緒に参加してた友達とご飯を食べる予定だったから残った)。

ちなみにアブラムシは時期によっては卵の中に子アブラムシ、子アブラムシの中には孫アブラムシがいる状態で生まれるのだそう。そんなマトリョーシカみたいな…


・ファッション、甘味、恋愛に関心があるという前提
手触りや匂いが気になる質なので肌に何か塗るのが苦手、服も手触りが嫌だったり色がうるさすぎると厳しい。皮膚を保護したり温度調整のために必要なのはわかるので機能性や柄が好きかどうかで選ぶ。靴はアウトドアブランドが中心でハイヒールは一足も持っていない。ネイルも指先という神経が集中している部位に何か塗るのが苦手だったが、深爪しすぎて缶のプルタブが空けられなくなったので爪を伸ばすために訓練してできるようになったのがここ1年ほどの話。慣れてしまえば爪を自然界ではありえない色にするのが面白くなってきたけど、訓練のたまもの。ジェルネイルのような分厚いのはまだ厳しそう。皮膚呼吸が妨げられる感覚がある。

甘いものは最近はそこそこ楽しんでいるが昔は「味の振れ幅が大きく予想がつかない」という理由でケーキや杏仁豆腐、フルーツポンチ等の生菓子全般を避けていた。最近は「外で食べるものは原則うまい」と学習したので割と何でも食べている。幸せなことにこれは年々強化されていて食べられるものが増えている。嬉しい。

あと恋愛、私の興味関心の大半は動物なので恋愛のことを聞かれても困る。あの犬何て種類?だったら多分答えられるけど「どんな人がタイプ?」はケースバイケースすぎて難しい。あとフリーの人間同士をくっつけようとするのをやめてくれ、居心地が悪くなるだろうが、相手がどうこうじゃなくてこちとら今発情期じゃないわけで、寿司食ってる時にケーキ食べなよ!美味しいのに!って口に突っ込まれる感じ。ケーキはケーキで素敵な食べ物だけど今は寿司食べてるからプリンじゃなくて茶碗蒸しが欲しいわけ、OK?

・有徴化されないことに慣れていた
中学から高校までを女子校で過ごした。女子校にいると(とりあえず)全員女子生徒なので、わざわざ「女子」として言及されない。それが一歩外に出ると大学のサークルでは「一女」、趣味で山に登ると「山ガール」、新しい客層を取り込みたい競馬場のキャンペーンでは「馬女(UMAJO)」…そこ性別言う必要あります?という場面が多く、うっすらと疑問符が重なっていく。男性だと甘いもの食っただけで「スイーツ男子」、スキンケアしただけで「美容男子」とか言われるやつ。いちいちうるせえ!楽しいことや体にいいことは全員どんどんやりましょう。

性別に紐づけられる文脈が多いと解釈の幅が広がり齟齬も生まれやすくなる。例えば米や肉が少ないとかサラダがついてるとかを「レディースセット」というやつ、少なめとかサラダ付きとか直球で説明してほしい。言葉は暗黙的に違う意味をくっつけず正確に使おう。ぶぶ漬け完食するぞ。「女性の意見を」と言われても、私はあくまでn=1で女性の代表ではない。サンプルが足りない。しかも最頻値よりは外れ値に近いと思っている。そもそも平均値のような人間ているの?0点が10人、100点が10人だったら平均は50になるけど誰も50点取ってない!正確じゃなさが気になって「あくまで一意見ですが」と前置きせずにいられない。n=1として聞かれたら引っ掛かりなく答えられるのだけれど。

これは一目惚れして買ったものの指に何かが触れている状態が苦手で付けられない指輪。普通の指輪より接触する面積が大きいから難易度が高い気がする。本当は外に付けて行って自慢したい。

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戦争教育、教育、教育

昨日、ドイツの戦争教育は14歳から、やみくもに早くから始めず、考える力がつくまで待って行うのだという話を聞いた。その時、小学校一年生の時から毎年夏になるとビデオ教材を使った戦争の授業があったことを思い出した。太平洋戦争末期、本土空襲で多くの人が亡くなった話や原爆のこと。爆撃の衝撃で人間の皮がはじけて目玉が飛び出す様子をアニメーションで見た。戦争は最悪、繰り返してはならない、そりゃそうだ。でも満足な説明もなくいきなりショッキングな様子を見せるのって良くないのでは?

数年前にたぶんTwitterで「戦争の悲惨さを見せるだけでは不足。戦争を防ぐために何ができるか考える、自分たちの行動次第で回避可能である、と今後の希望まで示さなければいたずらに恐怖をあおるだけになってしまう。無力感だけ与えて終わらせてはいけない」といった話を見たことがある。その時も自分が受けた戦争教育を思い出して確かにそうだなと思った。

年齢一桁の頃は寝る前や手持ち無沙汰なタイミングで「戦争になったら嫌だなあ」と恐ろしくてたまらない気持ちになることがしばしばあった。実家は少々アレだったので漠然とした不安や恐怖について話すという発想はなく、ただただ怖さのピークが過ぎ去るのを待っていた。

 

物心ついたころから人の世が漠然と怖かった。今もそうだが経験も選択肢も少ない子供の頃はもっと怖かった。幼児期は出先で親とはぐれたら餓死するか殺されるかすると思っていた。運動会の行進なんかの団体行動は意味が分からない、どう振る舞えば良いのか分からない。誰も教えてくれないし助けてくれない、どうにか適応しているふりをして泳ぎ続けなければ終わりだという感覚がずっとあった。

で、戦争教育。私が人の社会を信じられない、ピンと来ないまま怖いなあと思って生きてきたのは、個人の性質だけじゃなくてこれもけっこう社会が原因なところがあるのでは?十分に情報を与えないとか時期を待たないとか、教育が不十分なのも原因では?

人間は未熟な状態で生まれるので勝手にいい感じに育つようにはできていない。いろいろな人と関わったり学ぶ必要がある。教育大事。

私は未だに人の世が怖いしピンと来ない部分も多いが、動物オタクなので色々な動物の情報を漁る中で「人間は社会性動物、社会性動物の生存戦略は群れを作ること」と認識したため、社会が良くなってほしいと考えるようになった。

でも私は割と特権を持っていて現時点ではクリティカルに困る場面が少ないし、モチベーションが「社会性動物だから群れで協力するのがお得だよね」という理屈とわずかな当事者性(この体で生活する中で感じる諸々の不具合。私は逃げ足だけは速いので食らっていない方だと思う)だし、ネオリベ的価値観も吸い込んでしまっている。まだまだ無知でヤバくて危うい部分が多い。地道に学ぶこと、ネオリベ価値観を引き剝がすことも当面の課題である。ネオリベ最悪話も言いたいことが山ほどあるので別途吐き出していきたい。

 

ちなみにドイツは国が教育に力を入れているから大学の学費が非常に安くて、仕事の合間に来る人、小さい子供を連れた人、高齢の人も普通にいて、老若男女に開かれているとのこと。高校の授業のほとんどにディベートが取り入れられていて議論の仕方(”論破”ではなく議論!!!)をみっちり学べるとのこと。いいなあ。日本は防衛費なんか増やしている場合ではない。教育に投資しろ。税負担を減らしてセーフティネットを拡充しろ。あらゆる差別をやめろ。外国の脅威を気にするより内部から立て直さないと!

 

以下の画像は東京駅のKITTEにあるインターメディアテクにあるクジラの標本。こんなすごいものを無料で見せてもらえるのはありがたいし希望がある。f:id:sheeprrr:20230709020645j:image

受動的だと不安になる

子供の頃からアニメやゲーム、バラエティ等の「お勉強っぽくない」ものに興味を示すと「そんなくだらないもの」と貶されてきたので、私が興味を持つと対象に迷惑がかかる的な気持ちがあったり、的外れな感想を言ったり、十分に消化できていないことがバレたら「こんなバカを野放しにできない」と今以上に狭いゲージの中で短い紐で繋がれる生活(比喩)になるかもしれない、という漠然とした恐れがあった。8歳か9歳の頃、友達が「本を紹介するためのテンプレート葉書」を使って『赤毛のアン』をおすすめしてくれて嬉しかった(シリーズが多すぎて気後れしたまま未だ読めていない。ごめん。「いつか読もう」リストにはずっとある。今年こそ……)。自分も何かおすすめを返したかったが、好きなものを率直に表す訓練不足が祟って考えすぎたまま時間が過ぎて書けなかった。未だに好きなものを好きと表明すること、じっくり味わうことが満足にできない。というか自分がどうなったら嬉しいのかがわからない。狭いゲージにいたときは一挙手一投足を監視されて隙あらば減点されていたので「なるべく動かない、感じない」ようになった。当時家にいる間何してたかな…と思い返してみると、寝てるかソリティアしてるかだった。活字は好きだが現実逃避のために情報を流し込んでいたところがあり、ちゃんと消化できていない気がする。今もその癖が抜けない。過食はおいしいから食べるのではなく、食べている間は嫌なことを忘れられるから作業的に胃袋に食べ物を詰め込んでいる状態と聞くが、それに近いと思う。

 

間違っちゃいけない、一瞬で正解を出さなきゃいけない、という気持ちでずっと焦っていて、最初は「働いて稼いで自由に暮らす」以外はほぼ何も考えず走ってきたが、ふと落ち着いてみると虚しい。ずっと私はこのままか?と思うと怖い。何かを愛すること、簡単に解決しない問題に腰を据えて取り組む胆力、コスパだの考えず手間をかける豊かさ等が欠けているせいだと思う。働き始めた頃は貯金が少ない→何かあったら実家に強制送還されてしまうことを恐れていた。常に不安なのは金銭面が理由だと思っていたが、日々切り詰めて明日クビになってもしばらくは食いつなげるでしょう、という状態になっても全く安心はできなかった。仮に宝くじが当たろうが行きずりの富豪が家を買ってくれようが変わらないのだろう。結局全てにおいて「失敗したくない」「損したくない」と保身ばかりの不完全燃焼で生きているから虚しいのだ。何かいいことないかなーと口を開けて待ってるだけで充実した人生になると思うなよ!中には巻き込まれ体質で黙っていても退屈する暇がないって人もいるだろうが私はそうじゃない!不安な時は「評価されたい」「嫌われたくない」「連れ戻されたくない」とか受動態になっている。

昔は確かに残機がなかった。勝たなければさんざん追い打ちが来た。でも今は違う。何かをやってみて上手く行かなかろうが「ああ、残念だったね」で終わり。それ以上のマイナスは発生しない。体を壊したり無闇に借金したりといった無理のない範囲で色々やったらいい。飼い殺し生活の記憶を消すのは難しいので、新しい情報を大量に流し込んで薄めていくのが良さそう。

 

ということで直近のやりたいことリスト!

  • 旅行(国内、気になる場所にホイホイ行く)
  • 旅行(海外、まずはパスポートを取る)
  • 創作物をイベントに出す
  • レシピ通りに料理を作る(先日まともに作ってみたら普段の謎料理よりも満足度が高かった)
  • ガーデニングを本気でやる
  • 磯で生き物を観察する
  • イベントを企画する

 

コロナ前はしばしば突発的に一人で日帰り登山をしていた。「あらかじめ予定を決める」「人を誘ってスケジュールを調整する」「山小屋を予約する」が面倒で、前日に思い立ってザっとルートを調べて急に出かけていた。目的を決めて、そこに向けて調べたり準備したりする必要のある、ちょっと手間がかかることを面倒がらずにできるようになりたい。筋トレあるのみ!

 

本当は『人間をお休みしてヤギになってみた結果』の読書感想文を書く予定だったけれども、前置きが脱線して長くなりすぎたのでまた次回。写真はレシピ通りかつ賞味期限切れてない材料で作ったケーキ。

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政治、社会がクソすぎて落ち込むけれど

LGBT理解増進法という名の差別推進法が通過してしまった。入管法も改悪された。このところ気分が落ち込んでいるのは梅雨のせいでもあるが、政治がめちゃくちゃで悪法がまかり通るのを目の当たりにしていることも大きい。「社会がこんなにクソで、そのクソな社会で自分は比較的特権を持っている側にいるのに、何もできていないしどこから手を付けて良いのかもわからない」仕事に身が入らなくなった一因でもある。最初は「働いて稼いで自活して好きに暮らす」しか考えていなかった。でも仕事はずっと忙しく、新しい技術を仕入れないといけないのに目先の作業に追われて手が回らない。会社はインボイスを受け入れたので仕事を依頼する際は自分もインボイスを受け入れた側として動くことになる。他部署からはヘイトを助長するコンテンツやインチキご自愛コンテンツが発信されている。自分は手を汚さずに済む場所にいるから、ここで無害で高品質なものを作ってたくさん売って、変なもの作るより正攻法でやったほうがお得!という方向に持っていきたいと思っていた(今もそう思っている)が、そう簡単にはいかないし、先輩方がすでに良いものをバンバン売っている。でも金になりやすいクソコンテンツは一朝一夕でなくならない。どうしたらいいんだ。

 

などと嘆きつつ私自身も勉強不足で、ネットで識者がわかりやすくまとめてくれた画像を見たりして断片的に情報を拾っているにすぎない。無知な自分が情けない。何でも地道に学ぶしかない。技術のことも社会のことも趣味のことも、拾い食いではなくもっと知りたい。これまで本を読んでもエッセイ調の柔らかいものに偏っていたり、それすらも文字を追うだけで消化できているか怪しかったりする。わかったふりをしたり雰囲気で反射的に喋る癖をやめたい。自分の無知や浅慮が怖い。せっかく時間があるのだから勉強してマシな人間になりたい。わたしは多分長生きするので「自分だけ逃げきれば良い」というスタンスで生きていたらエネルギーが滞留して遅かれ早かれ狂ってしまう。社会を少しでもマシな場所にするためにエネルギーを使えれば嫌なボケ方する確率を下げられる気がする。頼む。

 

今日は夏至祭のお菓子を試作しつつこれを読む。悲しくても生活を投げない。

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余白を持とうとすること

子供の頃から休むことが怖かった。休んだら置いていかれてしまう、結局後で自分が苦しむ……と思い、年に一度あるかないかの不調時の休みさえも気持ちはどこか焦っていた。ガンガン働いて稼いで食っていく、止まったら実家に連れ戻されて自由のない日々に逆戻り、という強迫観念が常にあった。そうしているうちに少しずつ脳が疲れて、仕事に支障が出はじめた。新しいものに食指が動かない。無理に絞り出した企画はどれも鳴かず飛ばずで、しまいには職業上最も重要な部位が使い物にならなくなったので観念して休職することを決めた。

 

毎日ちゃんとご飯を作ったり、晴れた日には家じゅうの布を洗ったりと満足に家事ができるようになった。休みの間は好きなだけ寝ようと思っていたが生活習慣が乱れるのも嫌だしゴミ出しの都合もあるので案外午前中には起きて活動している。まずはゆったりとした生活を取り戻し、散歩したり本を読んだり、静かに余白を楽しみながら今後の生き方を考えるつもりが、気が付くとずっとSNSを見ている!

 

ここ数か月、SNS(特にTwitter)を介して仲良くなった人と遊ぶことが増えた。以前は仕事以外で人と会うのは月に1-2回程度だったが、毎週末どこかへ出かけるようになった。自分は社交的ではないと思っていたが、楽しい集まりは楽しい。山で引きこもって生きようと思っていたのに人里が恋しい。もともと活字中毒で隙あらばTwitterを開いていたのに拍車がかかり、ちょっと時間が空くとSNSを眺めている。これはよろしくない。楽しい社交は良い、でも油断すると人と遊ぶことで自分の中の虚しさから逃げようとしている。不純だ。自分が納得できる状態はどんなものかを掴み、実現のための手を考えるためにお暇をもらっている。自分で考えないとどうにもならないことを放棄してはいけない。SNSで「いいね」貰って喜んでいるばかりではいけない。このままでは友達に寄りかかって関係を腐らせてしまう。楽しい社交は各々がある程度自立してこそ成り立つのではないか。ちょっと落ち着きたい。

 

というわけでiPhoneのホーム画面を編集し、SNSを一式、ワンクッション置かないと触れないようにフォルダにまとめた。積読や録画やNetflixの消化、ぼーっと雲を眺める、楽器を練習する、遠くまで旅行する、まとまった時間があったらやるのにと思っていたことにも手を付ける。

SNSに向けていたエネルギーの一部をブログに流して緩和できないかな、という目論見で始めたブログ、続くと嬉しい。これまで日記をつける習慣がなく、今年は手帳のウィークリー欄に2行程度書いてみようと思い立つも続かなかった。でも何らかの形で考えていることを外に出して整理するのは良さそうなのでやっていきたい。

 

Stop and smell the roses🌹(立ち止まってバラの香りを嗅げ)

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